キラキラと輝く絆
今日で東日本大震災から2ヶ月がたちました
もうそんなに経ったのか~(-_-;)フウ
何をどうしたらいいか、まだ心がさまよっているうちに、時間だけはどんどん過ぎていき
生活は穏やかな日々なんだけど、気持ちの落ち着き所がないような気分になるのはどうしてなんだろう・・・
私の中の時間の進み方が 停まったわけではないけれど、あまりにも遅い気がする
震災の2日目、家に入り(1日目はあまりの恐さに家に入れず車の中で寝たのです)
片づけをしている時は気が付かなかったけど、夜になりロウソクの明かりに照らされた時
絆と言う文字がキラキラと輝いてjasmineの目に入りました。
それは ↓ お友達が書いてくれたティンコロリンとお友達のチワワチャンの絵の中に書かれていた文字です。
私がダイヤのようにキラキラと輝くものが好きだと言ったから、とお友達がラインストーンで
キラキラと輝く絆と言う文字を貼ってくれたのでした。
そして、震災直後の安否確認のメールも身内より早く、そのお友達が真っ先に連絡をくれ、その後
ワンコ仲間が次々とメールをくれて仲良しフレンドが全員無事であることを知り
おもわずその絆と言う文字に両手を合わせて感謝したjasmineでした。
そして震災から2ヶ月、あらゆる場面で絆を感じないではいられない場面に遭遇し
絆に支えられて乗り越えてきたような気がします。
思い起こせば、予期せぬ規模の地震、そして想像を絶する津波被害、未曾有の大震災に遭遇し
未だ余震が治まらず、原発事故も収束の兆しが見えない状態に不安と先が見えない日々
水、電気、ガス、ガソリン、食糧補給、医療等、すべてのライフラインが断たれた中で
夢中になって生き抜くために駆け回った日々
避難所とは違い、自宅にいると、何も配布されるものが無いので
食糧補給を自力でしなければならないので
毎日、食べ物が手に入るなら何でもかまわないと、あちこちの行列に並んだり
1回2リットルしかもらえない水の行列に寒さで震えながら、何度も何度も並びなおしたり
高齢者を抱え必死に奔走しまくるjasmineに、ご近所の方々が見るに見かねて自分が行列に並んで
やっと手に入れた水をわけてくれたり
ガソリンが入れられるスタンドの情報をわざわざ遠くから歩いて教えに来てくれたり
ある人は自転車に乗せられるだけの水を自宅側の公園で汲んで、大きなタンクで
自転車に乗れず、押しながら歩いて持ってきてくれたり
ダスキンさんは、ガソリン不足なのに数キロも離れた場所からわざわざ様子を見に来てくれ
ペットボトル2本(4㍑)もの水まで置いていってくれたり
まさに絆に支えられたおかげで乗り越えてこられた気がします。
何気ない日常がこれほど儚く、これほど愛しいものであったことに改めて思いを致すjasmineでした
3月14日
まさか母親が緊急入院するとは思ってもみなかったので、着替えも何も持たずに実家に泊まったけど
泊まり続けるのが長引きそうなので、一度家に着替えを取りに戻ることにしました
でも、ガソリンが往復1回分しかない為、これでとうぶん自宅へ帰る事は出来なくなると覚悟しました
父親をひとり、実家においてはいけないので助手席に乗せ
実家の近所の方たちと行動を分担することにしました。
一番ガソリンが多かったjasmineが近所中の水を汲みに行き
お向かいさんがお惣菜やさんが何かを売るらしいという行列に並び
お隣さんが・・・
皆で手分けして効率よくすべてのものを手に入れられるように協力し合いました。
jasmineは近所中の家を回り、水を入れられる容器をあるだけ集め
車の後ろが見えなくなるほどギュウギュウに詰め込んで、ガソリンが間にあってくれることを祈り
先日見つけた自由に水を汲ませてくれるお寺に向かって走りました。
ガソリン不足のせいか、道路はスイスイだったけど、国道沿いのガソリンスタンドには
数キロに渡って行列が出来ていました。
水を汲みに行くと行列が出来ていたけど、好きなだけ汲めるので本当に助かりました。
それから相方君が炊き出しをしている所へ行き、久しぶりに温かいカレーを食べていると
相方君が、そこで食べていたおばあちゃんに涙ながらに『本当にありがとうねぇ~』と両手を握られていました。
『ガンバレヨ!』とひと声かけて相方君とはしばしの別れ!
帰り道で渋滞にはまり、1時間以上ものろのろ運転、2時間近くになった頃
スタンドのユニホームを着た男性から『申し訳ありません今日の給油は終了しました』と言われました。
帰り道を走っていただけだったのに、渋滞はスタンドに並んでいる車のせいだったのでした。
知らないうちに、2時間も並んでいたのか・・・?
しかも、ガソリンは売り切れだったのか???
市内のあちこちにこんなガソリン渋滞が発生し、
あまりの渋滞に、スタンドに並ぶのでさえガソリンが減ってしまう可能性があり、うっかり並べないのでした。
その後自宅に戻り、箪笥からこぼれ落ちていない、まだ着れそうな服を引き出しからかき集め
歯ブラシなどの身の回りの品物を持って実家に行き、皆で水や食べ物を分けあい、家に入ると
電気が点いていました。
感激!!!!
おもわず『ワ~イ♪』と叫んじゃいました
電気のありがたみをしみじみ感じた瞬間でした。
世の中どうなっているのが情報が欲しくて、早速テレビをつけてみたjasmineでしたが
そのありさまに絶句するばかりの光景でした。
小さなワンセグの画像で、夜の闇の中 赤々と炎を上げて燃え盛る気仙沼や仙台港の
石油コンビナートなどは見ていましたが、大画面で改めて見るとその悲惨な状況に愕然とするばかりでした。
この火災で、ガソリンが手に入らなくなり身動きが取れなくなったのかと知ったjasmine
港の市場も壊滅的
船は陸に上がり、家は海に漂っている
海岸近くに打ち上げられたこれらの船は
現在は大型サルベージ船で吊り上げられて海に戻されています
内陸まで運ばれて、建物の屋根の上に乗っかった船は、この震災を忘れないように記念に残そうかと
言う案もあったらしいのですが
地元の人達が『思い出したくも無い、記念になんかならない』と言ったので
クレーンで下ろされ、その後解体処理されることになったそうです。
そうなんですよね~
忘れてはいけない、教訓にしなければいけない、そう思いつつも
実の所は出来ることなら思い出したくない!という思いがあるのも事実です
ただし、相変わらず続く余震で、忘れるどころか過敏に反応してしまう自分が嫌なくらい・・・(-_-;)
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