おっとりティンクとおきゃんな のんタンとのチワワ的生活

とても頭が良く、穏やかな14歳のロングコートチワワ「ティンク」♂とちょっとおバカだけど、なんにでも全力投球な 4歳の極小スムースコートチワワ「のんタン」♀との愛が止まらない日々

価値観がかわってしまった

震災から1ヶ月がたち、やっと自宅に帰ってきたjasmineですが、家の中は放置したままなので

これからが大変、やっと自宅の片付けを始めるjasmineです

今回の震災であらゆるものが倒れ、それらをひとつひとつ片付けていくのかと思うと

気が遠くなりそうなjasmineです

食器類はほとんどが壊れてしまい、毎日食べる器もすべてバラバラの揃わない食器で食べています。

あんなに大切にしていた高級品はすべて壊れてしまい、不思議なことに100円均一の皿だけが

無事に残っていたので笑っちゃいました

相方君がカレーを作ってくれたので、スプーンを出そうと食器棚の引き出しを開けると

この通りです ↓ うっかり手を入れようものならたちまちキズだらけになります。

どこもかしこもガラスだらけ、頭上の扉も慎重に開けないと物が落ちてきます

扉も引き出しも、開けるという行為にはかなり慎重になるほどです。

こんな片付けが毎日続いています。

たかが引き出しの片付けぐらいと思うけど、軍手をしたり、ゴム手袋をしたり

怪我をしないように慎重にするのでひとつひとつに時間がかかり、なかなかすすみません。

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入りきれないほどあった食器棚の中身はほとんど無くなり、左側の縦一列には

パンの材料の小麦粉入れになってしまいました

今回の震災で物の価値観が大きく変わったjasmineです

あらゆるものが崩れ、パソコンも落下し、大切にしていたものの多くを失いましたが

物など何でもいいのです、食器もいらない、服もいらない、靴もいらない

物はいらない、あるもので十分、こんなガラガラの食器棚でも

もう食器を増やす気にはなれない、今在る範囲内で十分生活できる

この後余震が10年も続くと言っている地震研究者の話を聞いて

命在る者が生きていてくれさえすればそれでいい

命無き物は極力最小限に控えて暮らしていこう

耽美な物も崩れてしまえばまったく無価値だし

生活はシンプルでいい

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今回の震災ですべてのライフラインがたたれて非常に役に立ったのが

これら ↓ の物でした。

姑が生きていた頃使っていた石油ストーブ、年老いた姑が火事でも起こしては危険と

ファンヒーターに買い換えたのですが、相方君が停電した時の為に、と捨てずにいたのです

これが大活躍でした。

最近オール電化のおうちを建てた知り合いは今回の震災で寒くて大変だったと言ってました。

停電で掃除機が使えずガラスの破片だらけだった我が家で次に活躍したのが

姑が使っていた箒とちりとり

これも、買ったばかりの物だったのでベランダでも掃除しようと

ベランダに置いたまま忘れていたのが大活躍

そして実家の両親が『カセットを入れるのが恐くて使えないからホッとプレートを使うので

持って行ってほしい』と言うので引き取ってきた卓上コンロ

たまにしか使ったことが無かったので、カセットガスもたっぷり残っていて

本当に大活躍でした。

地震の夜は近所の人達が煮炊きができない為、食べ物も無いと言うので

我が家に在った手付かずのお餅をカセットコンロで全部焼いて磯辺にして近所に配り

ポットいっぱいにお湯を沸かして、そのポットを玄関ドアの前に置き

近所の人達に自由にお湯を使ってもらったりインスタントのコーンスープを配って

皆で寒さをしのいだりできて、カセットコンロ万歳ヽ(^o^)丿って感じでした。

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地震当日はあまりの揺れのひどさに車の中で寝たのですが、さすがに2日めは

エコノミー症候群になってしまうのも恐いので、明るいうちに何とか少しでも家の中に

居住空間を作ろうと横になれる程度の範囲だけでもガラスを撤去する作業をしました。

その間も何度も余震が続くので、家のドアは一日中開けっ放し

近所の人達もみんな開けっ放しでした。

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停電で冷蔵庫の中の物がだめになってしまうので、庫内に有る食材を使って相方君が明るいうちに

モツ煮込みうどんを作ってくれました。

お隣さんは独身男性で家に食材が一切無く、朝早くから食べ物を探して車を走らせていたけど

何も見付からなかったらしく、チャーハンを作ってロウソクと一緒に持っていったら

今までひとこともしゃべったことが無かったのに自分の名前を言ったり

車で走った市内の情報を教えてくれたり、飲み物を分けてくれたりと

皮肉なことに地震によってご近所さんとずいぶん親しくなったjasmineです

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そして夜の闇はあっという間にやってきました

ガラスはざっと撤去したけど、あちこちに細かい破片がキラキラ光るので

ピクニック用のシートを敷き、その上にカーペット下に敷く敷物を敷き、さらにコタツ布団を敷いて

その範囲内だけの動ける空間を作ったら、ティンコロリンが喜んで走るので範囲外に出るのではないかと

ヒヤヒヤのjasmineでした。

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暗くなると、どこに何が有るのか探すのが困難になるので、昼のうちに必要な物はテーブルの上に集め

ほとんどテーブルから動かないで済むようにして、相方君が作ってくれたモツ煮込みうどんと

豚肉のおろしポン酢がけを食べました

この後食料を手に入れることが困難になるとは考えずに・・・

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食器類は洗えないので、ラップとホイルを使って食器を汚さないようにしたのですが

コップとスプーン類はそうもいかず、少ない水で洗って使うので、飲み水が減るのが恐かったな~

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我が家にはラジオが無かったので、情報はすべてワンセグから

でも、バッテリーの消耗が早くてずっと見ていたいのにそうも出来ず揺れた時だけ見てました。

たまたま相方君が数日前に使い捨て充電器を買っていたので、それで充電しながら見ていたんだけど

使い捨てのため、翌日には壊れてしまって、充電もできなくなってしまい本当に困りました。

しかもワンとも達からどんどん安否確認のメールが入ってくるのに

私の携帯からは何度発信しても送れないし、もちろん通話もまったくできないのに

北海道からと、海外からは普通に電話がかかってきたりで、ビックリしちゃいました。

9

ティンコロリンはちょっと揺れるだけでブルブル震えちゃうし、jasmineのひざの上から降りようとしなくなって

ご飯も一粒ずつ手にとって食べさせていました。

赤ちゃんの頃に戻った感じでした。

ティンコロリンのフードも、ビタミン剤も、トイレシートも、オムツもすべて多めに買って置いて良かったと

胸をなでおろしました~

市販のフードが食べられないティンコロリンなので、買い置きが無かったらと思うとゾッとしたjasmineです

2

震災から1ヶ月以上たって、そろそろみんなの中では少しずつ記憶が遠のいていくのかもしれないけど

jasmineの中では今でもつい昨日の事の用によみがえります。

未だに余震が来るたびティンコロリンが必死にしがみついてきます

ちょっとでも離れるとものすごい勢いで後を追ってきます

外で雨の音がしたり、上の階の人がガタガタ音を立てたり、ヘリコプターが飛ぶと

震災の時盛んに飛んでいたので、記憶が蘇るのかティンコロリンの震えが止まらなくなります。

私自身も同じ、今まで普通にしていたことができなくなりました。

お風呂は恐くて夜に入ることができません。

ちょっとした物音にもすごく敏感になってしまいます。

洗濯機の脱水の音が、地震前に響く地鳴りに感じて慌てふためいてしまいます。

忘れられないし、忘れてはいけないと思うので、記憶をたどりながら

あの時のことをこれからも書き残しておこうと思います。

1

今日は区役所に行ってきました。

無職になってしまったjasmineは社会保険から国民健康保険へ切り替えの手続きをするために

行ったのですが、罹災証明書を取る人でいっぱいで駐車場に入れず、ずいぶん待ちました。

やっと区役所に入っても、人が多くて何かと時間がかかりますが、役所もずいぶん変わったのでビックリしました

今まではお役所仕事!!

なんていい方をするくらい、時々腹立たしい思いもしてきたのですが、今回行って

あまりに親切なので、ものすごく驚きました。

そんなにまでしていただけるんですか?こんなに手間を取らせているのに?

嫌な顔をするどころか『気にしなくていいんですよ~』とまで言われ

本当に丁寧に説明、手続きをしていただきました。

帰るときには感謝の気持ちでいっぱいになったjasmineです。

jasmineが何時間も戻らなかった間、ティンコロリンはずっと車の中で待っていました。

震災以来初めて長い時間お留守番をしたティンコロリンです。

もちろん待たせるご褒美にトサカちゃんをプレゼントしましたよ~

でも、車に戻るとものすごい勢いで飛びついてきて、顔をペタ~とjasmineの胸に押し付けたまま

家に帰るまでその姿勢を変えずにひざに乗っていました。

できることならティンコロリンの記憶からあの震災の記憶だけを取り去ってやりたいと切に願うjasmineです。

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